2012年4月11日水曜日

RYO165


「選択の科学」

きっかけ】

「シーク教の教えに従って着るものまで決められていた私は、高校にあがる頃に失明する。が、アメリカの学校で私は、「選択」こそ力であることを学ぶことになる」という序文を読んで興味をひかれたから。

【概要】

一言で書くと、選択とはどういうことなのか、を多面的に考える本。

選択は生物の本能であるという実証、文化圏や他者によって選択は大きな影響を受けること、選択する権利を手にすることのメリットやデメリット等々を講義スタイルの章立てで説明している。

結婚、平均以上効果、コカコーラとペプシコーラ、金融や医療保険、ギリシア神話など身近な題材を扱いつつも、その身近な題材の中に必ず含まれている「選択する行為」について、楽しみながら考えながら読み進められる。

【本からピックアップ】

〜 「 第1講 選択は本能である 」 より抜粋 〜

わたしたちが「選択」と呼んでいるものは、自分自身や、自分が置かれた環境を、自分の力で変える能力のことだ。選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。

状況を自分でコントロールしたいという欲求が、それ自体、強力な動機になり得るということだ。不都合を招くことがわかっていても、その衝動に突き動かされてしまう。これは単に、自分で状況をコントロールすることが、気分が良いというだけではない。そうできない状況が、本質的に不快で、ストレスを引き起こすからでもある。〜途中省略〜 (ストレス/不満/パニック等の状況下時には)消化や免疫システムの維持などの身体過程に費やされるエネルギーが一時的に減少し、とっさの行動に使えるエネルギーの量が増える。瞳孔が拡張し、反射が速くなり、集中力が高まる。体が正常機能を再開するのは、危機が過ぎ去ってからだ。


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職業階層の高さと仕事に対する自己決定権の度合いが、(健康状態に)直接的に相関していた。〜途中省略〜 人々の健康に最も大きな影響を与えた要因は、人々がもっていた自己決定権の大きさではなく、その"認識"にあった。〜途中省略〜 飼育動物とは違い、人間の自己決定権や無力感のとらえ方は、外部の力だけで決まるわけではない。人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力を持っているのだ。

たとえささいな選択であっても、頻繁に行うことで、「自分で環境をコントロールしている」という意識を、意外なほど高めることができるということだ。〜途中省略〜 さらに意義深いのは、自分や他人に選択の自由を与えることで、それに伴う恩恵を与えることもできるということだ。行動をちょっと変えるだけで、自分の精神力、肉体的状況を大きく変えられるのだ。

〜 「 第2講 集団のためか、個人のためか 」 より抜粋 〜

だれしもが、自分の人生は自分でコントロールしたいと思っている。だが人がコントロールというものをどう理解しているかは、その人がどのような物語を伝えられ、どのような信念を持つようになったかによって決まるものだ。

選択に対する考え方や、選択が実際に行われている方法の地域差を理解する手段として、ある文化的特性を通して比較することが、特に有効だと認められている。それは、個人主義と集団主義の度合いだ。

「人間は、他者に善だと思われる生活をすることを互いに強制するよりも、自分にとって善だと思われる生活を互いに許し合うことで、より大きなものを得るのだ。」 By ジョン・スチュアート・ミル (哲学者/経済学者 )

たしかに寛容は、固定観念をもとに異文化を批判することに比べればましだが、それでも重大な欠点がある。寛容は、対話を促し、批判的な内省を求めるというよりは、むしろ逃避を促すことが多いのだ。

〜 「 第3講 「強制」された選択 」 より抜粋 〜

わたしたちが一番心地よく感じるのは、「ちょうどよい」位置につけているとき、つまりその他大勢と区別されるほどには特殊でいて、定義可能な集団に属しているときだ。


作業場所の痛みと苦しみ

ありのままの自分自身でいながら、順応性を失わずにいるには、変化を自己像と調和するものとして正当化するか、そうでなければ自己像そのものを柔軟に変えても自分の信頼性が損なわれるわけではないことを認識する必要がある。大切なのは、昔からずっと同じ自分でいなくても、自分であることに変わりはないという認識を持つことだ。

私達の選択は、他者の選択といつも結びついている。そして他者の目に映る自分は、内なる想像上の完璧な自分ではなく、これまでとこれからの選択の積み重ねとしての自分なのだ。

〜 「 第4講 選択を左右するもの 」 より抜粋 〜

私達は、大切なものを失わないためならどんなことでもするが、同じようなリスクを取ってまで利益を得ようとはしない。そうすることで、損失をこうむることを恐れるからだ。そんなの当たり前と思われるかもしれないが、このことは私達が提示方法による操作にとても惑わされやすいことを物語っている。

向上するためには、たえず自分の行動を観察し、批判的に分析し続けなくてはならない。何がまずかったのか? どうすれば良くなるだろう? どんな分野であれ、この実践と自己批判のプロセスの最終目標は、スピードにおいても精度においても、熟慮システムを確実にしのぐ、情報に基づく直感を獲得することにある。

〜 「 第5講 選択は創られる 」 より抜粋 〜

連想は日常生活での何らかの体験に対する反応として、不意に(しばしば意識的な自覚なしに)生じることも多いのだ。こうした条件反射的な連想を促すきっかけは「プライム」と呼ばれ、プライムが私達の精神状態やその後の選択に及ぼす影響は「プライミング」と呼ばれる。

プライミングが有効なのは、それが強力だからではなく、とらえどころがないからこそだ。プライミングは、確固たる価値観に逆らって行動するように私達をけしかけるよりも、むしろ選択に周辺部からじわじわと影響を与える。

〜 「 第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない 」 より抜粋 〜

マジカルナンバー7±2 => 人間に処理可能な情報量。By ジョージ・ミラー (心理学教授)


あなたはそれが言うことを知っていますか?

選択肢の見分けが容易につかないとき、あるいは最高のものをたった一つだけ選ばなくてはならないとき、選択肢の多さは、もはや便利でも、魅力的でもなくなり、単にノイズを生み出し、わたしたちの集中を妨げるだけになってしまう。

選択に構造化された方法を採り入れることには、試してみる価値がある。選択のプロセスに細心の注意を払い、選択そのものの幅を拡大するのではなく、それを実践する方法に注目することで、選択の力を最大限に引き出すのだ。芸術や音楽が生み出すものであるように、選択もまた生み出すものだ。それなら選択の指針を、創造的分野に求めてもおかしくはない。しかし、何かに「しがみつく」ためには、何かに尽くさなくてはならないことを、わたしたちは学ばなければならない。この献身こそが、選択に満ち満ちたこの現実世界で、最も難しいことなのかもしれない。

〜 「 第7講 選択の代償 」 より抜粋 〜

どの道を選んでも自分の幸せを必ず損なうような選択が存在することを、わたしたちは経験的、本能的に知っている。これがあてはまるのは、選択肢が避けられないうえに、どの選択肢も望ましくないという状況、特に自分の大事にしているものを「絶対的価値観(worth)」ではなく「相対的価値観(value)」という観点から考えることを強いられるような状況だ。

 ・絶対的価値: 大切にしていて値段が付けられないものに備わっているもの

 ・相対的価値: あるものをほかのものと比較することで導き出すもの

本当の意味で民主的な社会は、ある程度は心理的反発を促すようなものでなくてはならない。自由を脅かすものに対抗する動機を持たなければ、全体主義への道をまっしぐらに突き進むことになってしまう。

明らかに正しい選択肢や、ましな選択肢が存在しないのに、自分こそが望ましくない結果を引き起こした張本人だという自覚で、押しつぶされそうになる。選択の自由は、精神的、感情的な代償を伴うことが多いのだ。

〜 「 最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式 」 より抜粋 〜


選択は人生を切りひらく力になる。わたしたちは選択を行い、そして選択自身がわたしたちを形作る。科学の力を借りて巧みに選択を行うこともできるが、それでも選択が本質的に芸術であることに変わりはない。選択の力を最大限に活用するには、その不確実性と矛盾を受け入れなくてはならないのだ。

【感想】

重大な選択から日常の1コマにある選択も含めて全て、その選択には、これまでの自分の経験や環境、選択提供者の思惑が影響していて、選択することによりこれからの自分をつくっていくんだという考え方に共感が持てた。

自分の年代に関して言えば、日本でも集団主義的な考え方は薄まりつつあり、個人主義が浸透してきているように感じていたが、「選択」こそ力であるという考えに基いた、自分の選択への強烈なレスポンシビリティは全然希薄だと思う。逆に、希薄であるがゆえに、プライミングにのっかる形で一過性の流行が生まれやすい国民性なのかなぁと本書を読んで感じた。「自分は人と違うんだ」と思って下した選択は、選択提供者の思惑通りで、しかも大多数が「自分は人と違う」と言って同じ選択をする。そんなことの繰り返しが日本社会だとしたら恥ずかしい。

本書で一番印象に残った言葉は、「人間の自己決定権や無力感のとらえ方は、外部の力だけで決まるわけではない。人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力を持っているのだ」という一文。自分の中のあらゆる要素から選択は生み出されるものだ、それはさながら芸術みたいなものだと著者が主張している部分。本書のタイトルが「The Art of Choosing」になっているのも納得できる。(日本語タイトルの「選択の科学」は著者の主張を大きく外していると思う・・・)

まずは、「選択」こそ力だ、という意識改革から始めようかな。



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