2012年6月3日日曜日

大恐慌時並みの米国労働者失業率:ドイツ語新聞記事拾い読みブログ


«New York Times» sieht Quote bei 17,9 Prozent:
US-Arbeitslosigkeit angeblich so hoch wie 1930

08. Nov 15:58 http://www.netzeitung.de/wirtschaft/1512000.html

Ein «ernüchterndes Zeichen» sei der erneute Anstieg der US-Arbeitslosenzahlen, so US-Präsident Barack Obama. US-Medien berichten gar, dass die Zahlen historische Dimensionen haben -jeder Sechste sei ohne Job.
日本語訳はこちらから

1.«New York Times» sieht Quote bei 17,9 Prozent:
US-Arbeitslosigkeit angeblich so hoch wie 1930
die Quote rate
die Arbeitslosigkeit joblessness, unemployment
angeblich allegedly

2.Ein «ernüchterndes Zeichen» sei der erneute Anstieg der
US-Arbeitslosenzahlen, so US-Präsident Barack Obama.
 «ernüchterndes Zeichen» disillusioning omen
erneute
der Anstieg  increase 
die Arbeitslosenzahlen nemployment figures

2012年6月1日金曜日

72th Cafe NEGOTIATOR−S(取付前に)


転倒してこんな姿になってしまいましたが。。。

気を取り直して、例の謎の箱の取り付けのお話です。

その名も「NEGOTIATOR−S(ネゴシェーターS)」です。

一見、小さなカーボンの箱ですが

こいつが、ただ物じゃないんです!!!

まぁ、国内仕様のバイクにはサーキット走行では危険となる180km/hのスピードリミッターが強制的に装備されていますが、
まず、スピードリミッターの解除。
しかもショップじゃなきゃ出来ないとか、ECU交換してフルパワーにしなきゃいけないとか言われていた08以降のSC59型CBR1000RR用です!!!
ショップに頼んで工賃取られることもなく、自分で取付出来る!!!
僕は、出来る範囲内は自分でやりたい人間なので(笑

2012年5月31日木曜日

ブログテーマ[マヤカレンダー]|ケツァルコアトルの回帰と宇宙的コンバージェンス



The Future is not cut in Stone
未来は石碑には刻まれていない
Submitted by Carl Calleman on December 13, 2011 - 5:50pm
Carl Calleman's blog posts

Response to the article Back to the Future by Serena Redfeather/Transitions (
Serena Redfeather/Transitions (SRT) has raised a series of critical points against my work with the Mayan calendar and especially for the thirteen baktun "end date" of October 28, 2011. Most of these have been raised before and responded to by me at earlier points in time, but I feel they may now need to summarized.

これはセレナ・レッドフェザーの「未来への帰還(Back to the Future)」への返答である。
セレナ・レッドフェザー(SRT)は、私のマヤカレンダー研究に一連の問題を提起しているが、とりわけ13バクトゥンの"終わる日"が2011年10月28日であることへの批判は重要だ。そのほとんどはすでに指摘されてきたことだし、私は指摘される度にすぐに回答をしてきたが、今、あらためてそれらの問題を要約するのがいいと思う。

She (I do not know who is using this name, but I assume it is a she) claims that almost no other researchers in the field has given the end date of October 28, 2011 to the thirteen baktun cycle. While this may be essentially true (mind you, there are also others that share my view) this may be related to the fact that I am also the only researcher in modern times that has attempted to prove that the Mayan calendar is true. (Some do not even recognize that this is a problem and that the truth of the calendar is something that needs to be verified). I may also be the only researcher in this field that has presented predictions that indisputably have come to pass and these have been based on the very end date of October 28, 2011.

彼女は(私は誰がSRTを名乗っているのか知らないが、ここでは"彼女"としておく)、この分野では、13バクトゥンのサイクルが終了するのが2011年10月28日だとしている研究者は、私以外には、ほとんど誰もいないと述べている。これはほぼその通りかもしれなが(もちろん私の見解を共有している人々もいる)、それは、私が、現代においてマヤカレンダーの真実性を証明しようと試みた唯一の研究者であることと関係している。(この問題を認識していない人々もいるのだし、そのためにカレンダーの真実性を検証する必要があるのである。)また、私はカレンダーに基づく予測を行ったこの分野で唯一の研究者でもあり、私の予測は確実に実現したのである。そして、それは終わりの日をまさに2011年10月2 8日としたことに基づいているのだ。

For instance, almost everyone on this planet experienced the frequency increase of the ninth wave whose beginning I had set to March 9, 2011. The following week the magazine Newsweek went as far as having the text "Apocalypse Now" on its cover because of the unprecedented amount of change that this wave precipitated worldwide. The end date of the Long Count as October 28, 2011 thus goes hand in hand with a reality connection to the Mayan calendar that those that claim that the end date is December 21, 2012 do not think they need to provide.

たとえば、この惑星のほとんどの人が第9波の周波数の高まりを経験したが、私はその開始を2011年3月9日に設定した。その翌週に、ニューズウィーク誌は表紙に「今や黙示録」のタイトルを掲げるにいたった。それは、この波が世界中に空前の変化を引き起こしたからである。ロングカウントの終わりが2011年10月28日であることは、マヤカレンダーと現実世界に生起する現象の関連性をしっかりと結びつけた。そして、終わりの日を2012年12月21日だと主張する人々は、備えるべき事を考えなかった。

The December 21, 2012 researchers may thus sit in their ivory towers being "right" about their orthodoxy, but if this orthodoxy is not useful for establishing a reality connection what is it good for? To me the Mayan calendar is important to the extent that it aids the understanding of our current and future situation. I then also want to point out that it is simply not true when SRT says that my work is based on "revelations." I have never used this word for my own work, since it is based on the facts of science and history. It is not "revelations" that the Thirty Years' War started in 1618, that the telephone was invented in 1875 or that the Perm-Triassic extinction took place 252 million years ago. These are facts and to me a predictive calendar is meaningful only if it can be shown to be based on verifiable patterns of evolution. For people to accept my theories they thus do not have to believe in any revelations, since I provide facts that speak for themselves.

2011年12月21日を主張する研究者たちは、おそらく、彼らの正当性によって"正しい"とされている象牙の塔に閉じこもっているのだろう。しかし、この正当性が現実との関連性を確立する役に立たないのであれば、それが何の役に立つのだろうか? 私にとっては、私たちの現在と未来の状況を理解する上で有用である限りにおいて、マヤカレンダーが重要なのだ。私はまた、SRTが私の仕事が"啓示"に基づいていると述べているのは誤りだと指摘しておく。私は自分の仕事の中でこの言葉を使ったことはない。私の仕事は、科学的事実と歴史的事実に基づいているからだ。30年戦争が1618年に始まったこと、電話が1875年に発明されたこと、ペルム紀末の大絶滅が2億5200万年前に起こったことは� ��いずれも"啓示"ではない。これらは事実であり、私にとっては、検証可能な進化のパターンに基づいていると認められる限りにおいて、予言的なカレンダーは意味を持つのだ。このように、私の理論を受け入れる人々にとって、どんな啓示も信じる必要はない。私は、事実そのものに語らせているのだ。

When it comes to the end date of the calendar I however refrained from making predictions except than to say that it will mean the collapse of dualist dominance based civilization (Which many would agree is happening). What I know from my studies of the Mayan calendar is that there is normally no reason to expect anything to happen on a specific date, and so predictions can only be based on time periods with a certain energy. In reality it sometimes takes years before an energy shift manifests in our visible reality and if indeed something would happen on a specific date it would be truly remarkable and attest to the special importance of this day. It would be a first and would not really be expected. With this in mind we might then take a look at what happened on October 28, 2011 or close to it:

2012年5月19日土曜日


</head><body id="readabilityBody" > <p align="CENTER"><span><b>第一章 古代メソポタミア</b></span> </p> <p><span><b>第一節 文明以前の人間</b></span> </p> <p><span><b>知能人の出現</b></span> </p> <p> およそ十二万年前から一万年前まで、地質第四紀前半の「洪積世」の「第四氷河期」が続いていましたが、約一万年前、すなわち、紀元前約八千年ころから地質第四紀後半の「沖積世」に変り、地球は温暖化していきました。そして、これとともに、すでに第四氷河紀から発生していた「ホモサピエンス(知能人)」が、モンゴロイド(東ユーラシア)・ネグロイド(アフリカ)・コーカソイド(西ユーラシア)の三大人種を中心として急速に世界中に拡大していきました。また、知能人には、この他、オストラロイド(オセアニア)が存在していました。 </p> <p> およそ六十万年前からが地質第四紀であり、これとともに道具を使用する「原人」が出現し、発達してきました。しかし、地質第四紀前半の「洪積世」は、氷河紀を繰り返す寒冷な時代であり、おそらく原人の活動もかなり制限され、実際、その進化もひどく緩慢なものでしかありませんでした。これに対し、「沖積世」になると、温暖な気候となって、新たに出現した知能人の活動は爆発的に増大したと考えられます。この意味で、地球的時間観からすれば、現代につらなる知能人は、たかだか一万年間しかなく、それもずっと躁病的状況にあると言えるでしょう。 </p> <p> しかし、古代において、個々の生活は単純な習慣であり、そのような単純な生活習慣で適応可能な世界もまた、単純なものに限定されていました。したがって、古代人の世界観も限定的なものとならざるをえませんでした。そして、この限定的な世界観を越える物事は、すべて驚異であり、畏敬の対象となりました。このため、そのような驚異的な物事そのものや、それを支配する主体が、さまざまな〈神〉として、限定的な世界観の周壁に投影的に想像され、畏敬されることになりました。 </p> <blockquote > <p><span> 生活が単純で、世界が限定されているということは、質的な問題であって、空間的な問題ではありません。同様の単純な生活習慣で生活可能であれば、広範囲にも移動したでしょう。しかし、いかに空間的に近くても、それまでの単純な生活習慣を変えなければ適応できない環境には好んで移動しようとはしなかったでしょう。[合理的に考えればあまり好環境ではないところにでも村落は存続する]という事実は、[人間が無垢な合理的存在ではなく頑迷な歴史的存在である]ということを暗示していると思われます。</span> </p> <p><span> 人間が限定的な世界観しか持たず、これを越える驚異的な物事そのものやそれを支配する主体を疑心暗鬼のように投影的に想像する、ということは、現代においても変ってはいません。とくに、具体的主体(個人や機関)の具体的証拠が特定できない場合には、そこにまさしく情報不足を露呈しているのであり、このような一方的誤解ではないか、反省してみることが必要でしょう。さもないと、まさにその一方的誤解こそが最初の原因となって、自分が危惧していたものそのものに相手を硬化させてしまう、ということが生じがちだからです。</span> </p> </blockquote> <p> とくに自然の再生産出は、古代人の生活にとってもっとも重大な問題でありながら、採取消費しかしない古代人からは想像を越える物事でした。かろうじて人間が想像しえたのは、[自然の再生産出が日や雨や川、季節によるらしい]ということくらいでした。また、自然の再生産出が人間自身の再生産出からのアナロジー(比喩)から理解され、[自然は母性的な存在、すなわち、〈グレートマザー〉であるらしい]とも考えられました。このため、自然の再生産出に対する畏敬と待望は、自然の再生産出を支配する主体として想像された日・雨・川や季節を神とする崇拝や、再生産出する自然の存在的性質として理解された〈グレートマザー〉を神とする崇拝となり、これらの神に豊饒が祈願されました。後者においては、母性的� ��特徴の中でもさらに臀部や乳房がその再生産出の源泉と想像されたため、グレートマザーは、臀部や乳房を極端に誇張した母神像として偶像化されることが少なくありませんでした。 </p> <p>  </p> <p><span><b>農耕文化の成立</b></span> </p> <p> すでに洪積世末期の前九千年紀に牧畜が始められ、ついで沖積世初期の前八千年紀に農耕が始められました。知能人である彼らは、それまでの狩猟採取生活に加えて、さまざまな家畜を飼い、イモなどの穀物を作って、一所に定住するようになったのです。 </p> <blockquote > <p><span> 千年紀は、世紀の十倍の単位であり、たとえば、前八千年紀は、年号的で言えば、紀元前八〇〇〇年から七〇〇一年までを指します。</span> </p> <p><span> イモは、余りをほっておくだけでも、かってに根が出て増えるものであり、農耕は、ごく自然に始ったと考えられます。そして、[家畜を飼育するとより大きな収穫を獲得できる]という発見のアナロジー(比喩)から、「大地も飼育するとより大きな収穫を獲得することができるのではないか」と想像されたのでしょう。</span> </p> </blockquote> <p> オリエントにおいては、トルコからイランにかけて、長大な高山帯があります。そして、地球の温暖化とともに、冬雨の豊かなその南側の各地において、前九千年紀から牧畜が、前八千年紀から農耕が始められました。とくにこの地域においては、ムギなどの穀物の農耕に特徴がありました。他の地域の農耕のイモなどの根菜とは違って、ムギなどの穀物は、種播は毎年、収穫は一度、そのうえ、収拾・脱穀・加熱しなければ食べられない、という面倒なものです。畑地の耕作や穀物の保存のために、定住も発達したことでしょう。 </p> <p> オリエントでは、トルコ〜イラン高山帯において、トルコのチャタルヒュユク、イラクのジャルモ、イランのアリコシュなどに古代農業遺跡が発見されています。また、トルコ〜イラン高山帯からは外れていますが、ヨルダン川谷のジェリコ(イェリコ)でも、同時期の古代農業遺跡が発見されています。 </p> <blockquote > <p><span> ムギそのものは、一年草で、たいへん弱々しいものですが、極端な乾燥期があって多年草が存続できない場所では、地中のムギの種子だけが存続し、降雨期に一斉に発芽し、自然に群生することになります。したがって、このようなムギ自生地域に、人々が定住し、他の草木を除去し、農耕に移行するのも、自然なことだったでしょう。</span> </p> </blockquote> <p> しかし、前七千年紀からオリエントの乾燥がさらに進行したため、農耕民たちは、北のティグリス河(「急河」)と南のユーフラテス河(「大河」)に挟まれた肥沃なメソポタミアに下りて、その中央に農耕村落を作って移り住むようになっていきます。ただし、当時、今日の両河下流はまだまったくの海でしたので、そこがペルシア湾岸にあたります。また、メソポタミアは、もとより沖積平野で高低さがないために、熱帯性低気圧で冬雨がトルコ〜イラン高山帯に降ると、雨水がこの両河に集中してすぐに洪水となり、河川の流れも変ってしまいます。このため、村落も河川の移動に合せて盛衰することになりました。そして、前五千年期になると、このようなメソポタミアの農耕法がナイル川流域のエジプトにも伝播し、ここに� ��農耕文化が成立していきました。 </p> <blockquote > <p><span> メソポタミアは、ギリシア語で「河の間」を意味します。アラビア地方の乾燥の結果、西アジアの大半が砂漠と化してしまったため、メソポタミア=両河流域〜カナン=ヨルダン川流域〜エジプト=ナイル河流域が緑の地帯として残り、後に「肥沃な三日月(ファータイル=クレッセント)」と名づけられました。</span> </p> <p><span> しかし、他人と隔絶した閉鎖的な山間においてならともかく、開放的な平野においては、ある場所の収穫が農耕による自分のものであることを他人に立証し、確保することはきわめて困難です。農耕を知らない人々からすれば、実っている所から採って何が悪い、ということになるでしょう。それどころか、農耕を知っていても、場合によっては他人の農地や倉庫から掠奪する方が楽かもしれません。このような状況にあって、人々は、村落として、その農地と収穫の権利を相互承認し、共同保障することになったと思われます。そして、この村落を基礎として、潅漑などの協力作業や技術普及が行われ、生産性も向上していったと思われます。</span> </p> </blockquote> <p> このような農耕の発展とともに、〈グレートマザー〉崇拝は、〈地母神〉崇拝へと展開していきます。すなわち、再生産出する自然は大地に象徴されたのであり、その大地は再生産出する母であると理解されたのです。このような地母神は、グレートマザー同様の臀部や乳房を極端に誇張した母神像として崇拝されたほか、その地方の地形の根本となる大山そのものとして崇拝されることも多く、「山の神」ともされました。また、農耕とともに、[自然の再生産出には種子の植え付けが必要である]ということが理解されるようになり、日・雨・川や季節、そして臀部や乳房と並んで、今度はさらに男根や性交が自然の再生産出の源泉の象徴とされることもありました。そして、地母神の夫として植物神などが創出され、春に両者の� ��婚式として豊饒を祈願する祭礼が開催されるようにもなりました。 </p> <blockquote > <p><span> 地母神は、図象では二匹の野獣(獅子など)を左右対称に従えた形式などで描かれることが少なくありません。異なる地域や異なる時代において、たとえ神々の名称は変更されても、このような図象の特徴は継承されるため、信仰の系統を特定するのにたいへん有効です。</span> </p> </blockquote> <p>  </p> <p><span><b>シュメール文化の成立</b></span> </p>

2012年5月17日木曜日

ゆとり/ ゆとり世代/ 同人用語の基礎知識


「ゆとり」 とは、厨やDQNとほぼ同じ、侮蔑語の代表です

 「ゆとり」「ゆとり世代」 とは、本来の意味では学習指導要領の大幅な改訂により、学習内容と授業時間を大きく削減、短縮した義務教育を受けた世代のことで、「ゆとり教育世代」 などとも呼ばれるものです。

 元々批判の多い政策でしたが、2007年に深刻な基礎学力の低下を招いたとして事実上の 「ゆとり教育の失敗宣言」「ゆとりの見直し」 が提唱されたことにより、「ゆとり」「ゆとり世代」 は 「まともな教育を受けてない連中」 と云った、ある種の侮蔑対象、言葉としては差別的な罵倒語として ネット の 掲示板 では定着することになりました (「ゆとらー」 などとも)。

 またこれらの年代が使いがちなマナー違反のしゃべり方や書き言葉、例えば 「ら抜き言葉」 とか 「ぁぃぅぇぉ」 などの小さい文字を多用する、「○○ですかぁ」 のように音を伸ばす、「○○なんですけど」 などのように文章を途切れさせて終わるなどの言葉は、「ゆとり語」 などとも呼びます。

そもそも 「ゆとり教育」 とはなんだったのか…

 「ゆとり教育」 本来の目的としては、暗記中心、詰め込み式の教育をやめ、子供の自主的な学習意欲の発揮や、それによって 「考える力」 を引き出すための教育方針とその実践となっていました。 人格や人間性を破壊しかねない過酷な競争による 「知識力」 の獲得ではなく、おおらかな 「思考力」 を鍛えようという訳です。

 また受験戦争のエスカレートによって難関校受験の学力テストに難問や奇問が増えたことにより、本来は必要がなかったり無意味な学習を子供に押し付けたり、あるいは学力ではなく単なる受験テクニックを叩き込むような歪んだ教育環境を是正したり、そうした教育によって生まれた 「落ちこぼれ」 と呼ばれる勉強についてゆけない子供の救済、「一部の高学力児童」 を作るのではなく、全体で学力を底上げしようとする目的もありました。

 義務教育における 「ゆとり」 概念の提唱は古く、いわゆる 「教育ママゴン」 や 「受験戦争」 が叫ばれた 1960年代末から 70年代にかけて最初の提起が行われ、各地方自治体ごとに、例えば公立高校の偏差値偏重を避けるための学校群制度の制定や、カリキュラムの見直しなどが小規模ながら継続的に行われていました。 1980年には、それらを踏まえ、学習の内容や授業時間などの削減を盛り込んだ学習指導要領が実施され、人によってはこの頃を、「ゆとり第一世代」 とする場合もあるようです。

2012年5月16日水曜日

ゼンハイザー/Sennheiser HD 800のレビューと評価: MDR-SA5000からの乗り換え、ダイナミック型最高峰機種 [coneco.net 商品レビュー]


SENNHEISER・HD800ダイナミック型ヘッドホンのレビューです。この機種は実売15万円のゼンハイザー社フラッグシップモデルとして09年あたりから新発売されたモデルで、オーディオ機器としては新しい製品です。

今回は一ヶ月ちょっと前に購入して100時間程度エージングしてからの感想で、その後変化があればまた追記したいと思います。

購入の経緯は、この機種を購入するのではソニー・MDR-SA5000を使用していまして解像度が高く、ボーカルに強い機種でしたが、低域の品質に若干の不満があった事と機械っぽい若干粗っぽい音が気になって、もっと高音質な製品が欲しくなっての購入です。

ヘッドホンとしては高い機種なので、まずは店頭で試聴してから検討した後購入しており、主に比� ��した機種は
持ち込んだ現在所有のMDR-SA5000とER-4S、ATH-PRO700MK2(とPRO700無印)、
店頭比較の他の機種はSTAX SR-009、ATH-W5000、HP-DX1000
です。

■感想のお話の前に現在の再生環境を書きます。
【ヘッドホン】
ゼンハイザー・HD800(これです)、ソニー・MDR-SA5000、ATH-PRO700mk2など
【ヘッドホンアンプ】
オーディオテクニカAT-HA5000
【ヘッドホンアンプ-DAC間ケーブル】
BELDEN88760 RCAケーブル
【D/Aコンバータ】
オンキヨー・DAC-1000(S)
【DAC-DDC間ケーブル】
BELDEN 1506A同軸デジタルケーブル
【D/Dコンバータ】
M2TECH hiFace Professional 同軸デジタル-USB2.0
【DDC-自作PC間ケーブル】
現在普通のシールド付きUSBケーブルです…。
【CD音源トランスポート】
自作PC
CPU:Core i7-2600K 4.4GHz+スサノヲクーラー
M/B:ASUS P8Z68-V PRO(音質はNECチップのPCI-USBインターフェースカードと同じだったためオンボードUSBを使いました)
メモリ:コルセアVengence DDR3-1600 2x4GB
HDD/SSD:crucial C300、WD20EARX、WD3000HLFS等
光学:Plextor Premium2
PSU:ENERMAX REVOLUTION 920W ERV920EWT
ケース:FractalDesign Define XL(インシュレータ等無改造)
OS:Windows 7 Ultimate-64bit版
(GPUはRH6950-E1GHW/DP)
【SACD】
ソニー・SCD-XA1200ESからAT-HA5000へ接続
【ソース】
PCの再生ソフトはfoobar2000でhiFaceのカーネルストリーミングドライバでソース出力、CDはPlextorPremium2で専用ソフトにてwav取り込みしています。
主に聴く音楽はアドベンチャーゲームの主題歌で、若いキャラを演じている女性ボーカル音声の主題歌が殆どです。他、楽器だけやファミコン音楽・機械音のアドベンチャーゲームサウンドトラックと、AQUAPLUSのSACDが3枚ほどです。クラシック録音っぽいソースもあります。
【その他】
電源ケーブル交換や200V導入はしていません。ノイズフィルタータップのみMaxell NF-112(アース使用)を使用しています。

■聴いた感想を書き始めたいと思います…、店頭ではマランツのSACDプレーヤーとAT-HA5000という環境で最初に聴き比べましたがMDR-SA5000と比べて確実にワンランク上の高音質という印象でした。専用アンプが必要なSR-009と比べると店頭では中域以外の分解能でHD800の方が繊細さに感じてSR-009は僅かなトロトロ音・不明瞭さのようなものがあってびっくりしました。STAXはSRM-007tAヘッドホンアンプでしたがこのヘッドホンアンプがSR-007A用でこれから開発されるような事を聞いたので本領では無かったのかもしれません。STAX用ヘッドホンアンプは購入していないので取りあえず今すぐSTAXの購入は検討していませんでしたので他のダイナミック型との比較では、ATH-W5000という運用中のAT-HA5000とセットのヘッ� �ホンの試聴をしましたがこれは何故かダメでした。

2012年5月13日日曜日

ウィスコンシン州 - Wikipedia


ウィスコンシン州
State of Wisconsin
州の愛称: アメリカアナグマ州
The Badger State, 酪農の国Dairy Country

ウィスコンシン州 (Wisconsin WI) は、アメリカ合衆国の中西部に位置する州である。

州の名前は、インディアン部族オジブワ族の言葉で「赤い石の地」を意味する「Miskwasiniing」がフランス語風になまった言葉が元になっているとされる(「湖水河川の集合」や「巨大な岩」を意味するという説もある)。

愛称はDairy Country(酪農の国)またはThe Badger State(あなぐま州)。アメリカアナグマ(バジャー)は州のシンボルでもあり、19世紀前半、ウィスコンシン州が国内の鉛の半分以上をで産出した鉛ラッシュ時代に、鉛鉱山で働く鉱夫とその家族が地上に住居が完成するまで坑道に住んだことから「アナグマ」と呼ばれたことが元になっている[1]

主要記事:ウィスコンシン州の歴史

1634年、フランス人のジャン・ニコレ(Jean Nicolet)が、現在のウィスコンシンを訪れた最初の白人探検家である。フレンチ・インディアン戦争の後、フランスは同地をイギリスに譲渡(1763年)。その後、独立戦争などを経て、アメリカ合衆国の領土に編入され、1836年にウィスコンシン準州、1848年には30番目の州として承認された。

参照:ウィスコンシン州の郡一覧

州の北はスペリオル湖に、東側はミシガン湖越しにミシガン州に、西側はミネソタ州とアイオワ州に、南側はイリノイ州に接している。

四季折々の表情豊かな自然に恵まれた土地で、アメリカ国内では人気のある観光地にもなっている。アメリカ国内ではビールやチーズの名産地としても知られている。ドイツ系、北欧系住民が多く、地ビールやブラッツ(ブラットワースト)と呼ばれるソーセージが名産。ドイツ人気質は日本人と似ており親日的である。夏は過ごしやすい日が多いが、寒暖の差が激しく、米国内ではミネソタと並び寒い州として有名である。冬は1月が最も寒く夜間は-20℃以下となることが普通であり、-40℃以下となることもある。

マディソン市は湖の間にある美しい街としてアメリカ国内では有名であり、極めて優れた都市計画のもとに作られている。カリフォルニア大学の本校のあるバークリーと比較してリトル・バークリーとも呼ばれる大学町である。ウィスコンシン大学マディソン校は生物化学などが有名であり、大学院ランキングブックで社会学部門1位など州立大学としては国内トップクラス。

[編集] 人口動勢

人口推移
人口 変動率
1820年 1,444
1830年 3,635 151.7%
1840年 30,945 751.3%
1850年 305,391 886.9%
1860年 775,881 154.1%
1870年 1,054,670 35.9%
1880年 1,315,497 24.7%
1890年 1,693,330 28.7%
1900年 2,069,042 22.2%
1910年 2,333,860 12.8%
1920年 2,632,067 12.8%
1930年 2,939,006 11.7%
1940年 3,137,587 6.8%
1950年 3,434,575 9.5%
1960年 3,951,777 15.1%
1970年 4,417,731 11.8%
1980年 4,705,767 6.5%
1990年 4,891,769 4.0%
2000年 5,363,675 9.6%
2010年 5,686,986 6.0%

アメリカ合衆国統計局によると、2006年現在、ウィスコンシン州は前年より28,862人、または0.5%増加し、2000年より192,791人、3.6%増加した、人口5,556,506人と概算される。これは144,051人(出生434,966人、死亡290,915人)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者65,781人が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は56,557人増加することとなり、合衆国内部の移住者は9,224人増加することになる。ウィスコンシン州の人口重心はマーケサン市のある、グリーンレイク郡となっている[1]。

2004年現在、この州内に229,800人(州人口の4.2%)の外国生まれ住民がおり、外国生まれの18%と計算する、この州内に41,000人の不法在留外国人が暮らしている。

[編集] 人種及び祖先

この州の人種的な構成は:

  • 87.3% 白人
  • 5.7% 黒人
  • 3.6% ヒスパニック
  • 1.7% アジア人
  • 0.9% インディアン
  • 1.2% 混血

ウィスコンシン州内で5つの最大な祖先グループは:ドイツ系 (42.6%)、アイルランド系 (10.9%)、ポーランド系 (9.3%)、ノルウェー系 (8.5%)、イギリス系 (6.5%)。